知財取引指針は、大企業への”警告状”でもある
2026年に入ってから、大企業が下請事業者に「金型の無償保管」を強いていたとして、公正取引委員会から相次いで勧告を受けるニュースが目立っています。
- 2025年10月31日、ある自動車メーカーが、発注を長期間行わないにもかかわらず下請事業者10社に金型等440個を無償で保管させていた(ほかに7社に部品777個も同様に無償保管させていた)として勧告を受け、1,034万6,369円を支払いました。
- 2026年6月26日には、電気機械器具メーカーが、下請事業者69社に金型等475個を無償で保管させていたとして勧告を受けました。
- 2026年7月21日には、医療機器を製造するメーカーが、下請事業者32社に金型・治具643個を無償で保管させていたとして勧告を受け、1,452万5,390円を支払いました。医療機器メーカーへのこの種の勧告は初めてのケースです。
いずれも下請代金支払遅延等防止法(取適法、いわゆる下請法)の「不当な経済上の利益の提供要請の禁止」にあたるとされたものです。「発注が途絶えても金型は取引先が黙って保管しておくもの」という長年の商慣習が、もはや通用しない時代になっていることを、これらの勧告は示しています。
そして、「取引上の力関係を利用して、一方的に不利益を押し付ける」というこの構図は、金型だけの話ではありません。2026年6月24日、公正取引委員会・中小企業庁・特許庁の3機関は、知的財産権やノウハウ、データの取引についても同じ考え方を適用した「知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針」を公表しました(以下、本記事では「知財取引指針」と呼びます)。
下請法が「下請取引」という限定された場面のルールであるのに対し、この指針が根拠とする独占禁止法の「優越的地位の濫用」規制は、より広く、取引上優位な立場にある企業が、技術情報・ノウハウ・著作権などを不当に安く、あるいはタダで手に入れようとする行為全般に網をかけるものです。金型のニュースを見て「うちは下請法の対象外だから関係ない」と思っていた発注側の企業ほど、実は知財・ノウハウの分野で同じことをしていないか、一度点検してみる必要があるかもしれません。
こんな話、心当たりありませんか
知財取引指針の元になった実態調査報告書には、全国の中小企業から寄せられた具体的な事例が数多く掲載されています。
- 繊維製品メーカーが、発注内容に含まれていないにもかかわらず、取引先から原材料の配合や工程条件が書かれた工程表の無償提供を求められた(今後の取引継続を考え、応じざるを得なかった)[P15]
- パッケージデザインの制作会社が、著しく低い譲渡対価が書かれた業務委託契約書を提示され、「二次利用の際は別途協議」という条項の追加を求めたが、ひな形は変えられないと断られた [P36]
- 生産用機械器具メーカーが、自社が独自に生み出した発明について、出願前に取引先の許可を得た上で共同出願にしなければならない、という契約条項の締結を求められた [P56]
金型のケースと同じく、「今後の取引に響くかもしれない」という懸念から受け入れざるを得なかったケースです。知財取引指針は、こうした事例を大きく3つに整理しています。
- ノウハウ等の一方的な開示要請 — 正当な理由なく、技術情報や工程表、試作品などの無償提供・開示を求める行為
- 知的財産権等の不当な対価設定 — 著作権や商標権などを、著しく低い対価で譲渡・許諾させる行為
- 出願干渉・知財訴訟等のリスク転嫁 — 発明の特許出願に共同出願を強制する行為、第三者との知財紛争の責任を一方的に受注者へ押し付ける行為
泣き寝入りだけがすべてではありません ― 他社はこう対応しています
ここまで読むと「取引先に強く言えるはずがない」と感じるかもしれません。しかし知財取引指針には、問題行為を並べるだけでなく、すでに多くの企業が実際に行っている自主的な工夫——指針では「実践例」と呼ばれています——も、業種別に数十個紹介されています。今回はその中から、中小企業やスタートアップの現場でもすぐに参考にできそうなものを10個選んでご紹介します。
秘密情報・ノウハウを守る側の工夫 ― 契約前にできること
いったん開示してしまった情報は、後から「やっぱり渡さなければよかった」と思っても取り戻せません。だからこそ、開示を求められてから断るのではなく、開示しなくて済む仕組みをあらかじめ作っておく、という工夫が目立ちます。
- ゴム製品メーカーは、自社の秘密情報を「開示してよい情報」と「開示しない情報」に区分して整理し、NDAを締結した場合であっても、製造条件などの非開示情報は取引先に開示しないことにしています [P28]
- 生産用機械器具メーカーは、部品図面等を取引先から求められても出さないよう社員に指示するとともに、見積書にも図面提出をお断りする一文をあらかじめ記載しています [P23]
- 金属製品メーカーは、特許出願できそうな技術を含んだ提案営業を行う際には、特許出願を済ませてから営業を行うようにしています [P24]
- 発注する側の工夫として、電気機械器具メーカーは、製造を外部委託する場合であっても、コア部品についての設計図は一切社外に出さず自社工場のみで製造し、それ以外の部品については委託先を複数社に分けることで、製品の全体像が伝わらないようにしています [P24]
受注する側だけでなく、発注する側にも「渡しすぎない」工夫があるという点は、取引の両側にとって参考になりそうです。
「NDAはお願いではなく前提」という発想の転換
NDAの締結そのものを、取引の入り口の当然の前提として扱っている企業もあります。
- 金属製品メーカーは、技術内容など踏み込んだ話をする前には必ず秘密保持契約の締結を依頼しており、締結を嫌がるような相手とはそもそも取引をすべきでないと考えています [P26]
- 電気機械器具メーカーは、外注先に製造を委託する場合、自社から提供した試作品や部材から自社技術が漏洩しないよう、秘密保持契約等の中にリバースエンジニアリング(製品等を分解・解析して設計や構造を明らかにする行為)を禁止する条項を盛り込んでいます [P27]
NDAを「頼まれたら結ぶもの」ではなく、「結べない相手とは取引そのものを見直す」くらいの前提で臨んでいる、という姿勢の転換は、規模の大小を問わず取り入れやすい考え方ではないでしょうか。
知財の対価を、見積書・契約書でどう明確にするか
知的財産権の対価は、本体の制作費や技術料に埋もれてしまいがちです。それを防ぐための、見積書や契約書の書き方の工夫も紹介されています。
- 映像・音声・文字情報の制作業者は、見積書を作成する際、著作権を譲渡する場合としない場合の2通りを提示し、著作権にかかる対価を明確にしています [P50]
- 同じ業種の別の企業は、キャラクターの制作を請け負う際、著作権は自社に帰属させた上で、公開する媒体や改変の可否など、利用許諾の範囲をあらかじめ契約で定めるようにしています [P50]
- また別の制作業者は、ホームページ制作などで生じる中間成果物についても自社に帰属するものと整理し、取引先から提供を求められた場合には、そのつど料金を交渉しています [P51]
- 金属製品メーカーは、自社の特許を取引先にライセンスする際、その後の製品化にあたって技術指導を求められることがあり、その場合は別途代金を徴収しています [P51]
いずれも、「対価をゼロか全部か」ではなく、「どこまでを渡すと、どこから追加費用が発生するか」を事前に線引きしている点が共通しています。
中小企業・スタートアップへの実践ポイント
ここまでの10例を踏まえると、自社で明日から取り入れられそうな工夫は、次の3つに整理できそうです。
- 開示レベルを事前に棚卸ししておく。 「渡せる情報」「NDA締結後なら渡せる情報」「どんな状況でも渡すべきでない情報」を分けておくだけで、開示を求められた際の判断が速くなります。これは自社の強みの整理にもつながります。
- NDAを、交渉の余地がある「お願い」ではなく取引の前提として扱う。 締結を渋る相手とは、そもそも取引条件を見直す材料にもなります
- 見積書・契約書で、知財に関わる対価を本体価格に埋め込まず、項目として分けて書く。 曖昧にしたまま進めると、後から「対価は制作費に含まれている」と主張されるリスクがあります
まとめ
金型であれ、ノウハウであれ、著作権であれ、「力関係で押し切られて、一方的に渡してしまう」という構図は同じです。ただし、公正取引委員会が実際に大企業へ勧告を出し、支払いまで求めている以上、これはもう「大企業だから仕方ない」で済む話ではなくなってきています。発注する側にとってはあらためて自社の取引慣行を見直す警告として、受注する側にとっては「他社はこう対応している」という具体的な手本として、今回ご紹介した実践例を役立ててください。
すでに一方的な要求を受けて実害が出ている、というケースについては、中小企業庁の「取引かけこみ寺」(フリーダイヤル、専門相談員や弁護士が無料で対応)や、INPITの「営業秘密支援窓口」など、無料で使える公的相談窓口もあります。
今回もご覧いただきありがとうございました。
契約書や見積書の書き方、NDAの内容などを事前に整理しておきたい、という段階でのご相談であれば、お気軽にお問い合わせください。
参考文献
- 公正取引委員会(令和7年10月31日)「トヨタ自動車東日本株式会社に対する勧告等について」 https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2025/oct/251031_toyotajidousyahigashinihon.html
- 公正取引委員会(令和8年6月26日)「株式会社ダイヘンに対する勧告について」 https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2026/jun/260626_kinki_toriteki.html
- 公正取引委員会(令和8年7月21日)「HOYA株式会社に対する勧告について」 https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2026/jul/260721_hoya.html
- 公正取引委員会・中小企業庁・特許庁(令和8年6月24日)「『知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針』及び『契約書ひな形』の公表について」 https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2026/jun/260624_chizaitorihiki2.pdf
- 公正取引委員会「知財取引の適正化」ページ https://www.jftc.go.jp/dk/chizaitorihiki/index.html
- 中小企業庁「取引かけこみ寺」(全国中小企業振興機関協会) https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/torihiki/kakekomi.html
- INPIT「営業秘密支援窓口」 https://www.inpit.go.jp/katsuyo/tradesecret/madoguchi.html
※本記事は公開情報をもとに作成したものであり、個別の法的判断を示すものではありません。
